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自分語りPart1 大学留年危機

この記事はプログラミング一切関係ないです。

大学卒業したとき、Facebookか何かに載せようと、大学生活のことを振り返る文章を書いた。
だけど、いざ載せようと思うと、文章の稚拙さや、何より構ってちゃんな感じがして公開しないでいた。
けど、書いてから1年以上経ったし、ブログならそこまで構ってちゃんに思われないだろうというよくわからない心理で載せてみる。


久々に何か長文を書こうかなと思う。
と言っても何か気の利いた話なんて書けないし、折角学生生活を一旦は終えた訳なので、自分のそれを振り返ってみようかなと思う。
今までもmixiとかで日記とか書いていたけど、それでも流石に都合のいいことしか書いてないだろうし、隠してないことの方が少ない。
だけど、もうそんな必要もあまりないと思うし、出来るだけ赤裸々に、つまらなくもグダグダと書きなぐってみよう。
まずは1番記憶の残っている大学生活後期、3年後半~4年までを。
多分、メンヘラっぽくなるけどそこは許して欲しい。

1)留年危機~進級、形だけの就活
大学3年の冬あたりから僕のアイデンティティは揺らいだ。
発端は留年危機。あまりに情けない話だが、今までのらりくらりと何だかんだと言って躓かない人生を送ってきて、またこれからもそうなるという漠然とした想像をしていた。
しかし、その未来妄想図はあっさりと崩れた。
そう、単位を取らなくては卒業できないという逃避できない事実に気付いたのだ。
大学3年生となり、数学が全く、本当に全く理解できなくなっていた。
なのに、試験ができなくては単位は取れない。このままでは、いや、この後どうしようともど
うにもならないとしか思えず、発狂した。
「理解できないなら勉強すればいいじゃないか」と思うかも知れない。いや、事実そうなのだ。だけど、これは後から自己分析(笑)とか諸々を行い薄っすら気付いたことなのだけど、僕は所謂「学び方」というのを全く知らなかったのだと思う。というより、今も分からない。この歳でそうなのだから、多分これからも分かることは無いんだろう。
昔から興味あることしか知ろうとしなかったのだ。それがたまたま数学になった時期があっただけだった。

まぁ、このことは大学の話とはあまり関係ないし、また違う機会に書くことにする。

閑話休題。留年を意識しながらも、結局大学3年後期は数学を見るのも嫌で、学校に行かない日々が続いていた。
多分、週に1、2度ぐらいしか行っていない。授業はほぼ毎日あるにもかかわらずだ。
病んでるという言葉を軽々しく使うようだし、甘え以外何物でも無いんだけど、自分がただひたすらダメな人間だとギャグでなくとうとう本当に自覚してしまい、どこかおかしくなったのかも知れない。事実、今もその意識はある。

何でみんなそんなに堂々と生きていられるのか、そしてそれが羨ましくなる。
道を平然と歩き、当たり前に学び、当然のように人と繋がるのか。段々分からなくなる。

またまた閑話休題。さて、そんな風に現実逃避の生活を続けていたが、いよいよ期末試験が近づき、どうしようもなくなった。
恥も外聞も捨て、丁度同じく留年危機にあった友人からの聞いた「学年主任の先生に相談するといい」という情報を信じ、試験2週間前、I先生に相談に行った。
今思うと「何だこいつ」という感じだ。俺が先生なら「いや勉強しろよ」と押し返すと思う。

だが、先生は予想外にあっさり相談を受け入れ、真摯に単位を集め、進級する為のアドバイスをしてくれた。後で聞いた話だが、数学科は東工大随一の留年率を誇り、その為毎年のように俺みたいな輩が出てくるらしい。先生達も手慣れたもんだ。
アドバイスの中には重要な情報もあった。進級の為には「準必修」と呼ばれる科目の単位を規定数以上取らなくてはいけないのだが、これを律儀に守ると留年者が大変な数になってしまうので、「規定より4単位少ない程度までなら、会議で進級を認めることがある」のが現状だったのだ。
それはつまりそもそもの規定が厳しすぎるか、講義に問題があるのでは・・・とも思うのだが。

とにかく、幸か不幸か俺にはまだ進級の可能性が残っていることが分かった。しかし、勉強はやっぱり出来ない。せめてもと演習の授業は出席し、課題も出していたが、講義科目はてんでダメ。
所詮数学を理解していないのだ。努力を怠らなかったといえば嘘になるが、学問に「耐える」資源が足りなかったというのもまた事実なのだ。
嫌なことから逃げて逃げて逃げ続けて生きていたのだ(野菜すら嫌い続けている)。
そしてとうとう逃げきれなくなっていた。

まぁ、そんな感じで、2月。期末試験を終えた後は途方にくれていた。絶望していたし、虚無感
もあるし、変な気持ちだ。自分の進路をまともに考え出したのがこれぐらいだったか。
大学院に進学。
これが予定だったし、当然の道だったけど、果たして留年しそうな自分にその資格があるのか。大体行けたとして、行きたいのか。お前がしたいのは「大学院生」であって「数学の研究」ではないんじゃないか。本分を見失ってはいやしないか。
じゃあ大学院に進まないとして、どうする?就職?俺が?まさか。働くのに1番向いていない性格をしている。
でも、結局はこの二者択一しかない。ニートとか、再入学とか、起業とか、正直今の自分には現実離れしている。でも・・・
そんな自問自答と現実逃避を繰り返していた。


全文載せるとアホみたいに長いからここまで。
しっかしあのとき病んでたのは、言い換えれば選択肢としての希望があったからなんだよな。
今はあそこまで芳醇な選択肢は無いし、心の何処かで破滅願望があるような気がする。

それでも絶望しているって訳じゃないから、人生よくわからないんだよね。

GitHubとBitbucket

世の中ソーシャルコーディングの時代なのか、Gitレポジトリのホスティングサービスが主流になっている。

有名なのはご存知GitHubだが、もう一つ代表的なのにBitbucketがある。
両者ともGitを扱い、PullRequestがあったりと基本的な機能は同じだが、絶対的に違う点がいくつかある。
1)プライベートレポジトリの作成
GitHubは無料プランである限り、プライベートレポジトリは作成できず、常に全世界公開状態ですが、Bitbucketは対照的で、無料プランでもプライベートレポジトリが作成可能です。
ただし、レポジトリにアクセスできるユーザーは最大で5人までという条件があります。
つまり、Bitbucketは大人数での開発には向きません。
個人や少人数で、かつあまり見られたくない開発作業にはドンピシャリです。
2)日本語化
GitHubは完全に英語ですが、Bitbucketは日本語にも対応しています。
多少怪しい日本語ではありますが、誤解が生じないレベルで理解できるので、我らが英語の出来ない日本人には安心感があります。
ただ、一部の日本語が文字化けします。例えばコミットメッセージでよく「実装」という言葉を使っているのですが、これが「実�」と化けます。
まぁ正直、違いは1)に集約される。
SNS的側面を併せ持つGitHubと、あくまでレポジトリのホスティングサービスに徹するBitbucketといったところか。
で、これの使い分けだけど、僕は基本的にはGitHubを使い、見られては行けないコードが含まれているもの(何かのAPIのキーをベタ書きしているコードとか)はBitbucketを使うようにしている。
一時期は全部Bitbucketでやってたんだけど、「人に見られることがない」と思うと平気で汚くてその場しのぎのコードだらけになるんだよね。
GitHubに置いても誰かが見に来ることなんて無いんだけど、「見られる可能性がある」という事実だけで、良いコードを書こうとする意識が働く。
そういうところにこそ、GitHubを使う本当の意味があったりするのかな、と最近思う。
(大体、個人で使うならバージョン管理だけをすればいいから、Gitだけで十分のはずだ)
後、「GitHubを使うとなんかカッコイイ」「GitHubを使っていると、今時のプログラマって感じがする」、という、ミーハーな理由もある。
プログラマでこの先もやっていくとは思えないけどね。
早く帰国して公務員になりたい。

結婚式を祝うために

中学時代の友人Tが結婚することになった。

同世代が結婚という大人のステップを進んでいくのに何だか違和感を感じてしまう。
自分の精神年齢が子供のときから変わっていないせいなんだろう。
さて、Tの門出を祝福したいのだが、如何せん海外在住の身。結婚式にも参加できず、とりあえずフェイスブックで式当日にメッセージでも送ればいいか、と考えていた。
しかし先週、突然連絡が来た。それはTの友人で僕の友人でもあるYからだった。
結婚式で流すメッセージビデオ撮って送ってくれない?
無茶である。
しかも期限は来週までと来た。
とりあえず、マーライオンの近くで何かを話そうかな、と。
もちろんふざけたことを話して、最後はなんかいい話風に締めくくり茶を濁すつもりだ。
しかし、具体的な内容は思い浮かばない。
そして動画を撮影する道具もiPhoneぐらいしかない。
更にいうと一人で野外動画撮影、そして撮影被写体として喋るのはキツイものがある。
会社の人に頼むのは絶対に嫌だし、(会社では殆ど喋らないキャラです)
でも残念ながらシンガポールで頼める友達もいない。
あと動画編集もやったことないし。
誰か一人でも協力者がいれば、ずいぶんと違うんだけど。