カテゴリー別アーカイブ: 自分語り

軽井沢移住

仕事の都合と自分の事情が絶妙にマッチした結果、8/1から軽井沢に移住した。
軽井沢というブランドに単純に憧れがあるし、この時期なら避暑になって丁度いい。
家賃が高そうなイメージがあったけど、東京に比べれば断然安い。
1SLDKの鉄筋コンクリートマンションに一人暮らし、さらに駐車場を別に借りるという贅沢をしているけど、それでも10万も行かない。
東京ならいくらかかるか、想像もしたくない。

ただ、ゴミの分類が面倒だ。
専用ごみ袋が必要だし、何より7時までに出せってなんだそれは。
夏季期間以外なら8時でもいいらしいが、東京の時は9時過ぎに出していたので結構堪える。
なので、まとめてごみ出しできる塵芥処理場を週一ぐらいのペースで使っている。
段ボールとはの資源ごみは普通のゴミ捨て場では受け付けてくれないので、もう全部塵芥処理場に持っていく生活になっている。

軽井沢は生活しにくいかと思っていたが、
スーパー(MATSUYAやTSURUYA)、コンビニがあるので何も不自由しない。
中軽井沢まで出ればラーメン屋も多いし、佐久平ぐらいまで行けば何でもある。

というか、Amazonがあるから本当に何も困らない。それを言っちゃあおしまいなんだけど。

机、椅子、本棚とかの家具は全てAmazonで揃えた。
Amazon便利すぎる。宅配業者さんいつもありがとうございます。
仕事で不在なのが申し訳なさすぎるので置き配してもらってもいいんですけど、まぁやってくれない誠実な業者が多いので中々。
そんなわけで、会社に送るという裏技を使いまくっているんですけどね。
会社今のところ俺しかいないし。
快適すぎるだろこれは。

TV買っていないので、NHK解約しなくちゃな。
ただ、調べると手順面倒なんですね。
完全に「全国民TVを持っている」という前提の制度になっているね。
地デジにしたのに、なんでBCASに課金という制度にしなかったんでしょうか。

めろんぶっくすとかが近くにないけど、まぁ通販あるのでそれも大丈夫。
というか、そこまで頻繁に行くところではないし。

まぁ、後は冬ですね。
スキーは楽しみだけど、寒さに耐えられるか、こうご期待。

日本本帰国

ようやく、日本に正式に帰ってくることができた。
3年間のシンガポール生活、得られたものはあっただろうか。
まぁ、多分ない。
得難い経験かも知れないが、それを大切と捉えるかは人それぞれだ。

経歴に箔が付いたぐらいかね。とりあえず。

さて、そんなこんなでしばらくは東京暮らし。
3ヶ月ぐらい後にまた転勤(国内)予定なので、ネット環境の整備ができないのはちょっと辛い。
VPN構築したいよぉ・・・

最初の2週間は秋葉原付近に仮住まい。
メロンブックスでも行ってきますか。

サーバー購入計画

本当になんの目的もないただの雑記です。

最近、個人的にサーバーを持ちたいと思うようになった。
単純に適用な仮想マシンを立ちあげたいというだけで、目的は一切ない。

完全に趣味である。
まぁ、仕事でWindows Serverを結構使うので、その練習台にしたいという意味合いもあるにはある。
ドメイン環境とか無意味に作りたい。

現実的にはファイルサーバー運用になるとは思う。
性能は殆どどうでもいいので安いものを探しているんだけど、下のやつが結構良さそう。
HP ProLiant MicroServer Turion II NEO N5 F1F35A0-AAAE

2万円切るなら十分でしょう。
HDDは追加でWDの赤、4TBを2つ買う予定。
一応ファイルサーバーなので、RAID1は組んでおきたいのです。

Hyper-V Server 2012 R2をインストールして、その中にWindows Server 2012 R2を仮想マシンとしてインストールする予定。
この辺りは仕事でもやっているので特に問題ないと思う。
Windows Server 2012 R2はどっかで買おう。
LINUX?知らん。

そういや仕事で初めてHyper-V Server入れたときはちょっと苦労した。ドメイン参加していないと結構面倒臭いのね
都合上ドメイン参加はできなかったので辛かった。
・・・と言っても、一度やれれば次は5分でできるような作業だけど。
このページには本当にお世話になりました。
Hyper-V ServerをGUIで使い、仮想マシンを作成してみる

しかし、肝心な点として、普段使っているマシンはMacなんだよな・・・。
Macで使えるHyper-V Managerって無いのかしら。
初期設定だけはVirtualBoxでwindows立ちあげてやるしかないか。

しかし、そこまでして何故俺はMacを使うんだろう。
正直、結構Windows使いに戻った方がいいんじゃないかと思うときもある。

LINUXに何度挫折したか分からん。どうも、IT音痴です。

何が書きたかったんだこの記事。

目的はないけど、自宅サーバーがほしい

この一年、PC周りを色々と新調した。
特に意味はないけど、使用しているガジェットを羅列してみる。

PC: MacBook Pro (Retina, 15-inch, Early 2013)
ディスプレイ: acer G276HL
マウス: Logicool G700S
キーボード: Logicool G105
PCクーラー: NOTEPAL ERGOSTAND LITE
USB HUB: Anker AH232
マウスパッド: Logicool G240
外付けHDD: G-Technology (HGST) G-DRIVE with Thunderbolt 3TB
外付けHDD(Backup): I-O DATA 3.0TB HDC-LA3.0
外付けHDD(Mobile): BUFFALO 1TB HD-PA1.0TU3

G700Sはいいんだけど、しばらく使い続けているとハングアップでもしているのか、クリックの反応がにぶくなったりする。

Anker AH232は13ポートとか言うアホみたいに便利なhubなんだが、接続方法の問題か、最近3ポートしか認識しなくなった・・・初期不良なのか、これに更にhub指しているのが問題なのか。でもそのhub抜いても認識治らないし・・・。

G-DRIVEは単純にブランドで選んだ。
Backup用のHDDはヤマダ電機で安売りしていたので買っただけ。
毎晩0:30にG-DRIVEのデータをBackup用のHDDにコピーするようにしている。

暇ができれば、個別にレビュー的なことも書いていきたい。


最近、MMD動画を見るのにハマってしまっている。
昔はあまり好きじゃなかったんだけどな。違和感が全く無くなっていて、技術の進歩って凄いな。
東方やったことないのに二次設定ばかり覚えてしまっている。

「善意の半強制イベントが嫌い」という話から、よくわからない展開になってしまった実りのない雑記

何となく、心のなかで思っていたことを書き記してみる。
思考の言語化に近いので、支離滅裂な内容かもしれない。
思考自体、基本的に感情的で、非論理的なものだから、仕方ないと予防線を張っておく。

書き記したことに特にきっかけがあった訳ではない。
むしろ逆で、きっかけが無いからこそかける。
何かきっかけがあって書いたら、何だか自分を曝け出しすぎているようで、恥ずかしい。

さて、僕は送別会とか、誕生日パーティとか、そういうものがあまり好きではない。

こう言うと誤解を受けそうなので訂正しておく。
個人的な友人を祝ったりとか、そういうことは大好きだ、
ただ、学校のクラスとか、会社の部署とか、そういう単位で開かれるそれが嫌いなのだ。
こんな感覚自体は昔から持っていたが、具体的な思想押して持つようになったのは高校生ぐらいのときからだと思う。

クラスの女子の誰かが、「誕生日の人がいたら、昼休みに祝おう」なんてことを言い出した。
この時点でウエッと思った。どうせ思いつきで、すぐに面倒くさくなるだろう。
その予想は見事にあたって、6月ぐらいになることには無かったことになっていた。

そこで思った。
これ、祝われない人の気持ちを一切考えていないな、と。
6月以降の人はまだいい。実際は4,5月でも祝われていない人がいるかも知れない。
その気持を考えると少し憂鬱になる。
祝って欲しい訳ではない。
しかし、同じ立場の者が祝われて、自分が祝われない。これは気分のいいものではないだろう。

クラスという単位で祝う以上、そこに例外が生まれてはいけないのだ。
しかし、じゃあ仮に全員が祝われるようになったらどうだろう。

やっぱり嫌だ。祝われたい人ばかりではないだろう。
今で言えばFacebookに勝手にタグ付けされて自分の写真がアップロードされるようなものだ。
「写真アップロードされれば嬉しいじゃん」とかいう単純な精神構造の人ばかりではないのだ。

大体、クラスというのは仲良しグループが集まったものではない。別に関わりのない人も居る。
その事自体は問題ない。むしろ自然だ。
だからこそ、システム的には全員平等、最低限の繋がりのみで構成されるべきだと思う。
あまり知らない人のことを祝うことに苦痛を感じないのだろうか。
少なくとも、僕は苦痛に感じる。
そして、逆の立場で、関わりのない人に祝われるのも、いい気分ではないだろう。独裁者のサイコパスじゃあるまいし。
お互い、なんの利益もない。何だこの苦痛。

そんな風にある程度、昔から思っていた感情を言語化出来た。それが高校生のときだった。

ついでに言いすぎておくと、送別会とか、こういうイベントで、食事に行くことって、本当に楽しいのだろうか。
僕は捻くれているのか、「え?送別するのに何で飯行くの?酒飲むの?」とか思ってしまうのだ。
普通に見送ればいいじゃない。
或いは移動先の情報とか教えてあげるほうが、遥かにありがたいだろう。

「コミュニケーションとしての食事を全否定かよ」と言われると思う。
概ねその通りだ。
「話すこと実際無いんじゃね?だから簡単に挨拶するぐらいでいいと思うよ」という感じだ。

食事しながら話すことはお互いに分かり合うための基本(口実)らしいが、そもそもみんながみんなと分かり合うなんて、疲れないだろうか。
もっと、人はそれぞれが孤立していたほうがいいと思う。

よく「まずは一緒に食事に行って仲良くなる」と言うが、一緒に食事って、俺の中では相当ハードルが高いのだが、如何だろうか。
食事なんて仲の良い友達とぐらいしか行かないし、そうでなくてはとても楽しめない。
初対面の人となんて、絶対にできない。
「仲良くなってから一緒に食事に行く」という流れが自然だと思っている。
「まずは一緒に食事に行って仲良くなる」という発想は「一緒に食事に行く人とは仲の良い人のことだ。だから一緒に食事に行けば仲良く慣れる」という仮定と結論が逆転した一種の帰納的思考法から導き出された詭弁にしか、僕には思えないのだ。

合コンや街コンって本当に楽しいのだろうか。
この歳になっても、狂気の沙汰にしか感じられないのだけど。

ちなみに、こんな思想を持った結果、出会いがこの歳まで一切なく来てしまった。
そして、「出会いとかいらないな」という思想に至りつつある。
こうなりたくないなら、上記に似たような思想は捨てた方がいい。

一般的な幸せを目指すなら、一般的な感性と思想が大切だ。

自分語りPart3 冗談就活絶望

この記事は将棋、アニメ、プログラミング一切関係ありません。
前の自分語り記事の続きです。


そして冗談としか思えないまま就活が始まった。
覚えてる限りだと、下のような企業を受けていた。

臨○セミナー:1次面接辞退
日○研:震災でうやむや
市○予備校:3次面接落ち
SA○IX:2次面接落ち
小規模IT企業:1次面接落ち

ここから俺の低スペックぶりが伺えると思う。
そもそもまともな東工大生なら受けないような企業が大半。それすら落ちる。
社会に適応できないタイプの人間なのがよくわかるだろう。

正直、何もかもが嫌になっていた。
極力、人と会わないようにしていた。
授業では隣に知り合いが来ないことを祈っていた。
昼食に誘われないように2限が終わったらすぐに学校を出るようにしていた。
人と話すと自分の駄目さを認識してしまうのだ。それに耐えられないのだ。
ちなみに、上記の企業は全て自分で選んだものだが、それ以外にもエージェントサイトから紹介された企業も受けていた(このエージェントサイトにいつ登録したのか、全く思い出せない)。
エージェントからはIT系をいくつか挙げてもらった。IT系は自分は全く疎く、調べてもピンとこないのでもうエージェントに丸投げしたのだ。
意識の低さがはっきりとわかる。
実際、SEとSIerの違いとか、全然知らなかった。っていうか、今でも知らない。
そんな意識で面接に臨んだのは2企業。どちらも「余暇を十分にとれる」という条件で絞った。
1つは中規模程度のサーバー保守系(正直、あんまり覚えてない)、もう一つがベンチャーのITコンサル系で、正直胡散臭いなと思っていた。
前者は下調べもせず面接で適当なことを抜かして、余裕でサイレントお祈りされた。
そして後者だが、今までと全く違う面接に面食らった。
会議室のような部屋に通され、待つこと数分、出てきたのは長身の、いかにも仕事ができそうな中年だった。
彼はドカッと椅子に座り、足を組み、値踏みするような目で僕と、エージェントから送られたのであろう履歴書を交互に眺めた。
今まで受けてきた企業では、少なくとも表面上は学生をお客様扱いしていて、それに慣れていたので、かなり面食らった。
あ、これ帰りたい」と後がないにも関わらず思った。
面接の内容も変なものだった。面接官の彼と同じ大学出身だったといいうこともあり、大学の話から始まり、世間話をしたのち、僕の経歴についてのダメ出しが始まった。
曰く「綺麗すぎてスカスカ」ということだ。
中高大と受験し、浪人もせずそれなりのランクの学校に進学していたが、言い変えればただそれだけであった。
しかも、東工大を学部卒業するということは、これまた言い換えれば学問に挫折したというポテンシャルの低さをまま表しかねない。
まぁ、大まかにそういう話だった。
そして話は発展し、海外の大学へ留学したらどうかと勧めてきた。
何言ってるんだコイツ。海外とか一生行きたくないわ」と内心思った。
そして、これは体よく断られているのだなと居心地の悪さを感じた。

時間になり、最後に彼が言った。
「で、どうする?この会社を受けるなら書類(卒業見込書とか、そういうものだったと思う)受け取るけど、留学するなら受け取らないでおくよ」
この会社に入る気はさらさら無かったが、わざわざ東京のど真ん中まで来て説教受けただけで帰るのも癪なので、受け取ってもらうことにした。
その後、「受けるの辞めたかったらここに連絡して」と名刺を渡された。
そして知る彼の肩書。マネジングディレクター。平たく言えば社長だ。
初めてもらう社長の名刺に困惑したが、もうここに来ることは無いだろう。
そんな思いを胸に、帰路に着いた。


この先の書き溜めが何処に行ったか分からない・・・

自分語りPart2 大学留年回避

この記事は将棋、アニメ、プログラミング一切関係ありません。
前の自分語り記事の続きです。


そして、とうとうこの現実逃避からも逃避するために、仮初めの選択をした。
就職だ。
理屈でいえば当然の決定だった。学問が嫌なら、大学院なんていうマイノリティな道に進むことはない。
だけど、それが妙に残酷な発想に思えた。自分の無能を経歴で表すようで、たまらなく安いプライドすら失われる感覚が情けなかった。
両親にこのことを告げるとき、親の前で、怒られたわけでもないのに初めて泣いた。
繰り返すが、自分の無能を肯定するようなものだから、それが情けなくて悔しかったのだ。

予防線を張っておくと、情けないやら悔しいやら、それは努力した人にしか言えなくて、自分にはその資格がないことぐらいは分かっている。
だから、これは半端者の「情けない」言い訳だと思って欲しい。

そして、春休みになり、慌てて合同説明会に行った(何の役にも立たないクソみたいなイベントだった)。
そして、初めての会社説明会に行った。中学のとき通っていた塾の会社だ。
ブラック会社なのは勿論知っていたが、自分にはブラックな人生がお似合いだと変な風に卑下していた。
幸か不幸か、昔通っていた事情から、社員の人と少し話したりでき、何だか嬉しくなった。
今思うと、社会人と話して嬉しくなるとか狂気の沙汰だ。病むにも程がある。

そして帰り、電車に揺られて長い長い帰路に着いた。本来なら1時間と少しで帰れる道なのだが、それが途轍もなく長いものになったのだ。それは電車だけでなく、日本が揺れたことが原因だった。
2011年3月11日のことだった。

震災のときのことも書きたいけど、横道にそれ過ぎるからまた別の機会にする。

さて、何はともあれ、その後も就活とかいう行事に少しずつ参加していった。
だけど迷いは消えない。というより、逃げたい。そんな気持ちになり、今度は逆に留年したくなっていた。
選択は先延ばしにしたい。そんな気持ちだった。留年すれば、仕方ないで済む。
済まないのだけど。
春休み中、希望研究室を決めるため、学校に行くことになった。
俺が希望した研究室は何故か人気で店員オーバーしていたので、じゃんけんで決めることになった(確率を重んじる数学科の伝統である)。

あっさりと俺は勝ち、希望研究室への切符を獲得した。
もっとも、進級できなければ出発駅にすら着けないんだけど。
そして、勝った瞬間、申し訳ない気持ちで一杯になった。
もし俺が留年したら、それは無意味に人気研究室の1席を潰したことになるのだから。
だけど、「俺、留年しそうだから譲るわ」とはプライドが邪魔して言えなかった。
そんな良心の呵責に苛まれて春休みを過ごしていた。

そして4月中盤あたり、所属研究室がようやく発表された。
ここに入っていれば、即ち留年回避というわけだ。
どうでもいいよとやせ我慢しながら張り出された表を見た。

俺の名前は、希望研究室の所属者リストに載っていた。

これで喜ぶ、はずだった。いや、実際ホッとした。しかし内心ではまた、がっかりもしていた。
ああ、これでいよいよ将来に立ち向かわなければならない
そんな現実をはっきりと知ってしまったからだ。


病みすぎだろ俺。
ただ、このときに歪んだ精神は今も俺の主軸を形成しているのだと思う。
現に大学4年のときに俺の性格というか、考え方は相当変わった。
前は「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」とべらべら公言する攻撃性があったけど、
今は「堕落できることこそ幸せというもの。他人に干渉することこそ最悪」という、快楽主義的思想になっている。
それは元を辿ると、このときの「他人に責められたくない」という気持ちから来ているんだろう。
馬鹿を馬鹿と責めていたが、自分が馬鹿でない確信が持てなくなったのだ。

そんな確信を持っていたことこそ、馬鹿だと今では思うけど。

自分語りPart1 大学留年危機

この記事はプログラミング一切関係ないです。

大学卒業したとき、Facebookか何かに載せようと、大学生活のことを振り返る文章を書いた。
だけど、いざ載せようと思うと、文章の稚拙さや、何より構ってちゃんな感じがして公開しないでいた。
けど、書いてから1年以上経ったし、ブログならそこまで構ってちゃんに思われないだろうというよくわからない心理で載せてみる。


久々に何か長文を書こうかなと思う。
と言っても何か気の利いた話なんて書けないし、折角学生生活を一旦は終えた訳なので、自分のそれを振り返ってみようかなと思う。
今までもmixiとかで日記とか書いていたけど、それでも流石に都合のいいことしか書いてないだろうし、隠してないことの方が少ない。
だけど、もうそんな必要もあまりないと思うし、出来るだけ赤裸々に、つまらなくもグダグダと書きなぐってみよう。
まずは1番記憶の残っている大学生活後期、3年後半~4年までを。
多分、メンヘラっぽくなるけどそこは許して欲しい。

1)留年危機~進級、形だけの就活
大学3年の冬あたりから僕のアイデンティティは揺らいだ。
発端は留年危機。あまりに情けない話だが、今までのらりくらりと何だかんだと言って躓かない人生を送ってきて、またこれからもそうなるという漠然とした想像をしていた。
しかし、その未来妄想図はあっさりと崩れた。
そう、単位を取らなくては卒業できないという逃避できない事実に気付いたのだ。
大学3年生となり、数学が全く、本当に全く理解できなくなっていた。
なのに、試験ができなくては単位は取れない。このままでは、いや、この後どうしようともど
うにもならないとしか思えず、発狂した。
「理解できないなら勉強すればいいじゃないか」と思うかも知れない。いや、事実そうなのだ。だけど、これは後から自己分析(笑)とか諸々を行い薄っすら気付いたことなのだけど、僕は所謂「学び方」というのを全く知らなかったのだと思う。というより、今も分からない。この歳でそうなのだから、多分これからも分かることは無いんだろう。
昔から興味あることしか知ろうとしなかったのだ。それがたまたま数学になった時期があっただけだった。

まぁ、このことは大学の話とはあまり関係ないし、また違う機会に書くことにする。

閑話休題。留年を意識しながらも、結局大学3年後期は数学を見るのも嫌で、学校に行かない日々が続いていた。
多分、週に1、2度ぐらいしか行っていない。授業はほぼ毎日あるにもかかわらずだ。
病んでるという言葉を軽々しく使うようだし、甘え以外何物でも無いんだけど、自分がただひたすらダメな人間だとギャグでなくとうとう本当に自覚してしまい、どこかおかしくなったのかも知れない。事実、今もその意識はある。

何でみんなそんなに堂々と生きていられるのか、そしてそれが羨ましくなる。
道を平然と歩き、当たり前に学び、当然のように人と繋がるのか。段々分からなくなる。

またまた閑話休題。さて、そんな風に現実逃避の生活を続けていたが、いよいよ期末試験が近づき、どうしようもなくなった。
恥も外聞も捨て、丁度同じく留年危機にあった友人からの聞いた「学年主任の先生に相談するといい」という情報を信じ、試験2週間前、I先生に相談に行った。
今思うと「何だこいつ」という感じだ。俺が先生なら「いや勉強しろよ」と押し返すと思う。

だが、先生は予想外にあっさり相談を受け入れ、真摯に単位を集め、進級する為のアドバイスをしてくれた。後で聞いた話だが、数学科は東工大随一の留年率を誇り、その為毎年のように俺みたいな輩が出てくるらしい。先生達も手慣れたもんだ。
アドバイスの中には重要な情報もあった。進級の為には「準必修」と呼ばれる科目の単位を規定数以上取らなくてはいけないのだが、これを律儀に守ると留年者が大変な数になってしまうので、「規定より4単位少ない程度までなら、会議で進級を認めることがある」のが現状だったのだ。
それはつまりそもそもの規定が厳しすぎるか、講義に問題があるのでは・・・とも思うのだが。

とにかく、幸か不幸か俺にはまだ進級の可能性が残っていることが分かった。しかし、勉強はやっぱり出来ない。せめてもと演習の授業は出席し、課題も出していたが、講義科目はてんでダメ。
所詮数学を理解していないのだ。努力を怠らなかったといえば嘘になるが、学問に「耐える」資源が足りなかったというのもまた事実なのだ。
嫌なことから逃げて逃げて逃げ続けて生きていたのだ(野菜すら嫌い続けている)。
そしてとうとう逃げきれなくなっていた。

まぁ、そんな感じで、2月。期末試験を終えた後は途方にくれていた。絶望していたし、虚無感
もあるし、変な気持ちだ。自分の進路をまともに考え出したのがこれぐらいだったか。
大学院に進学。
これが予定だったし、当然の道だったけど、果たして留年しそうな自分にその資格があるのか。大体行けたとして、行きたいのか。お前がしたいのは「大学院生」であって「数学の研究」ではないんじゃないか。本分を見失ってはいやしないか。
じゃあ大学院に進まないとして、どうする?就職?俺が?まさか。働くのに1番向いていない性格をしている。
でも、結局はこの二者択一しかない。ニートとか、再入学とか、起業とか、正直今の自分には現実離れしている。でも・・・
そんな自問自答と現実逃避を繰り返していた。


全文載せるとアホみたいに長いからここまで。
しっかしあのとき病んでたのは、言い換えれば選択肢としての希望があったからなんだよな。
今はあそこまで芳醇な選択肢は無いし、心の何処かで破滅願望があるような気がする。

それでも絶望しているって訳じゃないから、人生よくわからないんだよね。