本当の三年間 第01話 二号

公開日: 2005/07/05

 入学して一ヶ月か過ぎようとした五月頃、武雄という名前も大分みんなに知れ渡っていった。中には俺の下の名前を本当に武雄だと思っている奴までいる。
 知名度が上がる、というのは単純に嬉しい。入学当初の俺にとってみればとても予想できない事だ。あんな暗い俺に話しかけてくれた濱野達には本当に感謝している。そして、この「武雄」というあだ名を考えてくれた廣瀬にはさらに感謝している。しかし、感謝できるのは今だからこそだとも言える。
 最初、本当は「武雄」というあだ名は凄く嫌だった。いや、正確にはこのあだ名が嫌だったのではない。俺と同じ名字の奴のあだ名は、俺の小学校の頃のあだ名の「タケ」であった、それが嫌だったのだ。誰かが「タケ」と呼んでも、それは俺のことではない。それに妙な疎外感を感じたのだ。
 ちなみにそいつは「竹田」という。俺の名字は「武田」だ。竹田の方が俺より遙かに知名度が高かったので、俺はそいつと同じ名字の、いわば「タケダ二号」という立場だった。そして、その「タケダ二号」という名の代わりに「武雄」と呼ばれるようになった。俺はそんなニュアンスが嫌だった。今思えば、変にプライドが高かった。馬鹿みたいだ。
 さて、そんな訳で、俺はこれから「武雄」として中学校生活を過ごす事になったのだが、勉強面は、はっきり言って大失敗した。小学校から苦手だった国語の漢字はもちろん、中学受験時代は得意だった読解まで出来なくなっていった。そして何よりショックだったのが、小学校時代、全くと言っていいほど無敵だった算数(中学では数学)が出来なくなった事だ。小学校の頃はテストは常に100点だったし、算数オリンピックにも出場した。そして何より俺は算数が大好きだった。それだけにショックは大きかった。
 今思えば、これらの原因は全て自分にあった。小学校時代は、周りから常に褒められて育った為に、自分を天才だと勘違いしていたのだ。それで小学校は通用したが、中学になり、多少勉強が本格化するとあっという間に落ちこぼれた。何しろ自分を天才だと思って全く勉強しなかったからだ。落ちこぼれるのは当たり前だ。
 恥ずかしい話、この考えは今でも自分の中にあるのかも知れない。さらに高校受験もそれで乗り切ってしまったので、その考えが少し強まった気さえする。しかし、客観的に見れば、俺は天才じゃない。そんなの周りの同級生から見ても分かるだろう。後輩からに至っては「馬鹿そうな先輩ベスト3」に選ばれる自信もある。結論づければ、俺は「運が良い」だけな男なのだと思う。
 さて、話がずれたが、俺はこうして中学当初は完全な「バカキャラ」であった。しかも、自覚症状がない、非常にやっかいなものだ(やはりテストでどんな点数をとってもこのときはまだ「俺は天才論」は崩れていなかった)。そういえば、受験シーズンまっただ中になり、受験勉強をしてある程度頭脳が人並みになった頃、廣瀬と一緒に下校していたら、廣瀬が「正直に言うと一年の頃、武雄のことすんごい馬鹿だと思っていた」と言われたのも記憶に新しい。ちなみに他の人達にも同じ事を言われた。このとき初めて「ああ、俺って馬鹿だったなぁ」と実感した。しかし、この事に今頃気づくと言うことは、やはり俺はまだ馬鹿のまんまだ。それでも、そんな風に見られていても、一年の頃はそれはそれで結構楽しかった。一番無茶できたのも、この時期だと思う。ある友達には「武雄の絶頂期って一年の頃だったよね」とまで言われるほどだ(正確に言えば、この理由は恋愛面での方が大きいのだが)。
 こんな時期、多分もう二度と来ないと思う。これから一生、ずっと。そう思うと、少し切ない。
 
 
 
 
[第01話、終]