本当の三年間 第14話 朽ちた朝礼台の上で

公開日: 2015/09/22

 別に何処の学校でもそうだと思うが、朝会とか、集会とか、基本的に全校生徒の集まりは体育館で行っていた。校庭で行うことはまず無い。その結果かわからないが、学校の校庭にあった朝礼台は朽ちて放置されているような状態だった。使われたのは体育祭の時ぐらいか。とにかく、本当に記憶が無いぐらいだ。
 その朝礼台は、校庭と校舎の間の草むらにあったと思う。確か、錆びて倒れたバスケット小ゴールも一緒にそこにあった。今考えると、結構ずさんな管理だ。だけど、何というか、そういう雑居さというか、無駄なものがあることが、一つの「趣」だという気もする。
 不満があれば、解決する。それは当たり前で理知的で正論なのだけど、どこかその不満に諦観の念を感じながら、放置して要領の悪く生きたいという変な気持ちもあるのだ。そして、それが心地よいのだ。
 まぁ、それはかなり関係ない話だ。とにかく、そんな朝礼台は、普段は特に意識しないオブジェだった。それが、一体何が理由だったかすっかり忘れてしまったが、春だったか、秋だったか、とにかく、日光が心地よい程度の時期の昼休み、何度かその上で九石と一緒に日向ぼっこのように駄弁ったことがあった。会話の内容なんて覚えていないが、確か青臭い恋愛関係の話か、部活の話か、そんなことだった気がする。

 確か、中学のときはあまりみんな校庭に出ず、校舎内で遊んでいた。そのせいか、朝礼台で寝そべっているときは外に俺ら以外誰もいなかったような記憶がある。五月晴れの青空の下で音が遠くにしか聞こえないその場面は、まるで時が止まったかのようだった。心地よさと、何故だがわからない切なさとを噛み締めながら、ただ情けない愚痴話をしていた、気がする。

 どうも、記憶がもう定かでなくなってしまっていていけない。具体的客観的なことは時が経つにつれて段々と薄れてしまい、覚えているのはそのときの感情や感覚だけになっている。その気持だけ思い出すから、ノスタルジーは歳を重ねる度に強くなっていく。だから、思い出を何か形に残すことが必要なのかもしれない。だけど、それは同時に信じたい幸せな思い出を打ち壊すようで、気が引けてしまう側面もある。昔話というのが最も盛り上がる話題の一つである以上、思い出の美化は大切なものなのかも知れない。

 閑話休題。しかし、何せメインの「朝礼台の上で友達と無意味なおしゃべりを楽しんでいた」ということを書ききってしまったので、もう他に書くことがないのだ。だから、思いついたことをついつい書き連ねて、話が脱線してしまう。

 ああ、そうだ。一つ、思い出したことがある。確か、この時期に「俺が吹奏楽部で嫌われている」という噂を聞いた。もう誰から聞いたのか、何処で聞いたのかも覚えていないし、信憑性も怪しいものなのだが、プライドが異常に高い俺はそれに酷く傷ついていた。本当に、阿呆だ。そして、そんなことを九石に話しているところで、運悪く吹奏楽部の女子2人が話しかけてきた。俺は噂を完全に信じ込んでいたので、「どうせお前ら俺の悪口言っているんだろう」と愚痴のように訴えてしまった。
 これはいけない。本当に恥ずかしい。
 彼女らはポカンとしたような反応で、また九石も何とかフォローしてくれて、それで何とか俺も収まった。まず、噂が本当かどうか分からないし、本当だとしてもそんなこと言うなよ、とか、もう、上げればきりがないほど情けない行動だ。昔の俺のHPの日記を読んでいた人ならわかると思うが、当時は異常にプライドが高く、傷ついてもバレバレのノーダメージアピールするような恥ずかしいやつだったのだ。自虐ネタとか当時絶対受け入れてなかったしね。
 今は多少ましになったと思う。それで、凡骨になったとしても、多分良い意味であろう。

 ほらね。思い出は美化しておかないと、こうやって恥ずかしいことを思い出して、夜眠れなくなってしまう。

[第14話、終]