本当の三年間 第15話 部活

公開日: 2018/11/13

 まさかまだ更新するとは思わなかった。仕事で行き詰まって休んでいる合間に書いているという、台無しな報告をまずはしておく。

 夏になり、3年生の先輩が引退すると、いよいよ部活動は我が2年生のものになった。
 今までは極一部の同級生しか試合には出られなかったが、これからのレギュラーメンバーは大部分が同級生になる。そしてそこには当然、自分も含まれる。そう意識したかは定かでは無いが、とにかく夏休み中は完全にテニス部活中心の生活を送っていた。テニス以外にしたことなど殆ど覚えていない。精々彼女に振られたことぐらいか。小学校の頃の友達と地元の公園のタイヤ置き場で遊んでるときにメールがきたことを今でもよく覚えている。暑い西日のときだった。
 まぁ、それはともかく、大体毎日炎天下で練習し、ついでにそのとき買い換えたラケットが合っていたこともあったせいか、かなりこの時期に実力がついた気がする。というより、人生で一番テニスが上手い時期だったかも知れない。高めの球をドライブ気味に叩き込み、低めの球はさらにトップスピン回転をかけて返していた。正直、今テニスしているときも、このときの幻影を追っている。
 このときのプレイスタイルは自分では特に意識はしていなかった。打ちたい球を打ちたいように打っていた。ただ、夏休みが終わり、部員とテニス談義している内に、「自分はトップスピンをよくかけるスタイルだ」と指摘され、自分でもそう意識し出した。
 それが良くなかった。
 意識せずトップスピンがかかっているのだからそのままでいいのに、スピンのかけ方を変に研究してしまい、スピンを無理にかけるオープンスタンスフォームへと変化してしまい、ボールスピードは完全に失われた。今ではフラットな打ち方が分からなくなっているぐらいだ。
 こんなことがあったせいか、繊細な思考や感覚の言語化は避けるようにしている。言語というフィルタはどうしても完全な思考、感覚を表わすことができないし、しかもその誤った解釈で理解が固定されてしまう。あらゆる分析が必要なクリエイタ以外の人間は、感覚は感覚のままで捨て置いた方が楽しめると思う。
 ちなみにこの文章は繊細なものでは無いから言語化してもいい。臨機応変臨機応変。

 閑話休題。
 さて、そんな訳で、中二の夏休みは部活一色だった。練習はほぼ皆勤賞だった気がする。そんなことが評価されたのか、俺はダブルスパートナーの小松とともにレギュラーの座を勝ち取った。そして個人戦や団体戦にも出場した。先に言ってしまえば、練習試合を除いて勝てたことはついになかった。夏休み以降、右肩下がりでテニスが下手になっていっていたので、当然の帰結だった。ついでにパートナーの小松がだんだん部活に来なくなったこともあり、シングルスへの移行を余儀なくされ、とうとうレギュラーから陥落したのは2月ぐらいの事だったと思う。レギュラー落ちを秋吉(部長)から宣告されたときは「目の前が真っ暗になる」とはこういうことなんだなかと思った。その後もテニス自体は全力で取り組んでいたが、プライドを保つため、どこか別のところで居場所を見つけようと無意識に行動していたような気がする。その結果が塾だったりしたのかも知れない。結果的に、レギュラー落ちが高校受験の成功にきっかけだったのかもしれない、なんて、正当化を試みている。
 結局、引退までレギュラー復帰は成らなかった。だけど、終われば意外と清々していて(それと「悔いが有る」は両立することを補足する)、引退試合後、金沢八景の海の公園に行って夜までみんなで遊んでいたことはよく覚えていて、中学最高の思い出の一つだ。そのあたりのことは、また別に書きたい。

 そういえば、将棋部も一応やっていた。1年生のとき、部員が居なかったので僕が部長になり、そのままなぁなぁに続いていた。だけど、まともな将棋などついぞやらなかった(大学二年から、ぜんぜん違うきっかけで将棋にハマった。このときからやっていれば・・・)。謎の「執務室」という四畳半程度の部屋に5、6人があるまり、ジャンプを読んだりトランプしたり体育館のどこかの部活練習を眺めたり、たまに将棋を遊びでしたりという体たらくだった。だけど、どこかその居心地が悪くなくて、ここに女子がいればアニメにあるような、目的不明の青春部活になっていたかも知れない。ただ、もちろん現実はそんなことなくて、3年の最後に将棋祭りに部員で出て、全員敗北し、打ち上げ漫画喫茶に行ったのが最後だったか。何の思い出にも糧にもならなかった。
 だけど、時間が有り余っていて、焦燥感も何もなくて、それはそれで今では羨ましい時だった。

 中学2年以降、モテはしなかったが、悩みらしい悩みも無かったし、なんかこの時期が青春全盛期だった気がする。もっとも、視野が狭いから、悩む題材すら見つからなかったのかも知れないけど。常に何かに追われる今では、このときの気持ちを思い出そうとしても思い出せないのが悔しい。
 これを書き始めたのは高校生だったか、その頃ですら今から見れば青春していた。今は「結果」しか求められない社会生活を過ごしている。根拠のない自信に満ち溢れていた学生時分はそれを望んでいたのだけど、すぐに辛くなっていく。嗚呼、これが大人ということか。精神年齢は上がらなくても、生活だけは大人になっていくんだなぁ。世知辛い世知辛い。
 まぁ、結局は自分の見方一つで変わることかもしれない。あの頃は「学校」以外の世界は無かった。今は違う。行動力だけは身に付いている。世界も少しは広がっている。そうだ。あの頃には戻れないが、気持ちだけは戻れるはずだ。もう一度、何度でも、僕は僕でいられる筈だ。

[第15話、終]