自分語りPart2 大学留年回避

この記事は将棋、アニメ、プログラミング一切関係ありません。
前の自分語り記事の続きです。


そして、とうとうこの現実逃避からも逃避するために、仮初めの選択をした。
就職だ。
理屈でいえば当然の決定だった。学問が嫌なら、大学院なんていうマイノリティな道に進むことはない。
だけど、それが妙に残酷な発想に思えた。自分の無能を経歴で表すようで、たまらなく安いプライドすら失われる感覚が情けなかった。
両親にこのことを告げるとき、親の前で、怒られたわけでもないのに初めて泣いた。
繰り返すが、自分の無能を肯定するようなものだから、それが情けなくて悔しかったのだ。

予防線を張っておくと、情けないやら悔しいやら、それは努力した人にしか言えなくて、自分にはその資格がないことぐらいは分かっている。
だから、これは半端者の「情けない」言い訳だと思って欲しい。

そして、春休みになり、慌てて合同説明会に行った(何の役にも立たないクソみたいなイベントだった)。
そして、初めての会社説明会に行った。中学のとき通っていた塾の会社だ。
ブラック会社なのは勿論知っていたが、自分にはブラックな人生がお似合いだと変な風に卑下していた。
幸か不幸か、昔通っていた事情から、社員の人と少し話したりでき、何だか嬉しくなった。
今思うと、社会人と話して嬉しくなるとか狂気の沙汰だ。病むにも程がある。

そして帰り、電車に揺られて長い長い帰路に着いた。本来なら1時間と少しで帰れる道なのだが、それが途轍もなく長いものになったのだ。それは電車だけでなく、日本が揺れたことが原因だった。
2011年3月11日のことだった。

震災のときのことも書きたいけど、横道にそれ過ぎるからまた別の機会にする。

さて、何はともあれ、その後も就活とかいう行事に少しずつ参加していった。
だけど迷いは消えない。というより、逃げたい。そんな気持ちになり、今度は逆に留年したくなっていた。
選択は先延ばしにしたい。そんな気持ちだった。留年すれば、仕方ないで済む。
済まないのだけど。
春休み中、希望研究室を決めるため、学校に行くことになった。
俺が希望した研究室は何故か人気で店員オーバーしていたので、じゃんけんで決めることになった(確率を重んじる数学科の伝統である)。

あっさりと俺は勝ち、希望研究室への切符を獲得した。
もっとも、進級できなければ出発駅にすら着けないんだけど。
そして、勝った瞬間、申し訳ない気持ちで一杯になった。
もし俺が留年したら、それは無意味に人気研究室の1席を潰したことになるのだから。
だけど、「俺、留年しそうだから譲るわ」とはプライドが邪魔して言えなかった。
そんな良心の呵責に苛まれて春休みを過ごしていた。

そして4月中盤あたり、所属研究室がようやく発表された。
ここに入っていれば、即ち留年回避というわけだ。
どうでもいいよとやせ我慢しながら張り出された表を見た。

俺の名前は、希望研究室の所属者リストに載っていた。

これで喜ぶ、はずだった。いや、実際ホッとした。しかし内心ではまた、がっかりもしていた。
ああ、これでいよいよ将来に立ち向かわなければならない
そんな現実をはっきりと知ってしまったからだ。


病みすぎだろ俺。
ただ、このときに歪んだ精神は今も俺の主軸を形成しているのだと思う。
現に大学4年のときに俺の性格というか、考え方は相当変わった。
前は「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」とべらべら公言する攻撃性があったけど、
今は「堕落できることこそ幸せというもの。他人に干渉することこそ最悪」という、快楽主義的思想になっている。
それは元を辿ると、このときの「他人に責められたくない」という気持ちから来ているんだろう。
馬鹿を馬鹿と責めていたが、自分が馬鹿でない確信が持てなくなったのだ。

そんな確信を持っていたことこそ、馬鹿だと今では思うけど。